雑記

日本の少子化の原因は多すぎる!?候補を全部まとめてみた歴史編!!いつから対策されたか?なぜ成功しないか解説!


夫の帰還と産児制限

さて、戦争が終わったらどうなるでしょうか?
 
起きたのが「戦争が無くなった安心感」と「戦地に行っていた夫の帰還」です。
 
もうお分かりですね?見事に出生率が跳ね上がりました。
 
戦後すぐのベビーブームの理由がこの2つで政策によるものでは全くありません。
 
しかしこの人口増加に懸念を持ったのが海外各国、特にGHQでした。
 
元々日本が日中戦争を仕掛けたのも増えた人口を養うための領土確保が理由と1説とされており、なんとか日本の人口を抑制することを意識しておりました。
 
他にも過去の日露戦争に於ける日本の侮れなさや、富国強兵の面、日本人に産児制限を決めさせるカトリックとの兼ね合いもありますが内容が多すぎるため省略します・・・
 
このような政策により人口増加は抑制され、戦後のベビーブームはわずか数年で幕を閉じることとなりました
 
みのり
みのり
GHQの思惑などはあまりにも情報量が多いため本を読まれることを推奨します
 

 

少子化対策アレルギーとまさかの少子化推進

少子化対策アレルギー

少子化推進を続ければ人口が減り続けるのは簡単に想像できますね?
 
ではなぜちょうど良い塩梅で少子化促進からシフトチェンジしなかったのでしょうか?
 
諸説ありますが主な理由は2つ唱えられており、それが戦時中の「産めよ殖やせよ」を彷彿させるイメージ悪化効果が出るのが遅く消極的になったがあります。
 
戦争中の政策というとマイナスな印象が多いですね。
実際愚策や組織内の甘さなどマイナスな面が多いので弁護しきれませんが・・
 
人口を増やす少子化対策を行おうとすると必ず戦時中の「産めよ殖やせよ」の印象に繋がり世論が反応します。
 
世論からの印象悪化は次期選挙への落選に繋がりあまり触れたがる人はいませんでした。
 
また仮に行ったとしても効果が出るのはかなり先であり実績作りとしては非常に効率が悪いものでした。
 
みのり
みのり
そもそも「少子」の意味も違ってた時代ですから

団塊ジュニア世代の短期的な出生増とオイルショック

出生率が上がらないと悩んでいる中、まさかの出生率が増加する自体が起きました。
 
そう戦争が終わり将来の安心感が広がり、夫が戦地から帰還して産まれた子供が結婚適齢期に入り出生率が増加したのです。
 
おまけに景気はバブルで絶頂期、将来の不安も盲目的に楽観視
若者が多くなった為出生数が上がるのは自然の事ですね
 
戦後のベビーブームは数年の出来事のため客観視すればすぐに収まるのはわかるのですがインターネットもなくメディアも政策批判に偏っていたため短期的な「人口増加の不安」が世論を覆いました
 
そうなれば政策で少子化対策を行うのはかなりの批判を受けるリスクがあり、さらに1973年にオイルショックが起こり経済不安より子供を控える動きも活発になってしまいした。
 
「子供は2人まで」というメッセージが「子供の数を減らそう」という風に受け取られたのもこの頃ですね
 
 
みのり
みのり
一時的な増加により少子化対策が先送りに・・

平成のさらなる少子化促進

オイルショックも記憶の彼方となっても、出生率が2.0人どころか1.57人を軽く切ることになり少子化が問題として挙げられるようになりました。
 
ようやく少子化対策が始まり長期的な対策が始まったにも関わらず平成にさらなる少子化促進が行われました
 
一応、軽視というより他を優先した結果ですが結局は少子化を進めてしまったので記述します。
 
そのきっかけが民主党政権交代で出生奨励よりも生まれてきたこどもをいかに大事に育てるかに完全にシフトチェンジしたことです
 
既に出生率が上がっていれば間違いではなかったのですが‥
 
 
家庭ではなく社会で育てようという方向に
つまり、考えを妊娠からスタートしていたことです。
 
少子化対策は本来妊娠までをどうするかを考えるものなのですが「少子化社会白書」を「子ども・子育て白書」に変えたことから基本体制からすでになかったかもしれません・・・
 
最終的に少子化対策が壊され、不十分な子育て対策がすぐに廃止されで見通せない将来という現実が残ってしまい、悪化させる時間を増やしただけとなった。
 
結果的に少子化対策を遅らせたことには変わりないです
 
なので覚えて欲しいのが「過去に政策で少子化対策の成果は出たことはない」ということです。
 
 
 
あまりに複雑になった少子化問題ですが、それでも巨大な困難でも解決策があると言うことを知ってもらいたいです
 

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