戦争論

戦争論を知らずに理想の投資家はなれない!!

アメリカの戦略の基本にもなっているクラウゼヴィッツの戦争論の知識を身につけることで投資に必要な力を身につけられるよう要点を厳選して、投資法への落とし込みをまとめました!!

普段から投資を行っている方も、これから行おうとしている方も是非とも参考にしてください!!

みのり
みのり
投資家に必要なことをお伝えします!!

こんな人におすすめ

投資家に必要な心構えを知りたい
何かしらの知識不足に悩んでいる人
理想の投資家像が見えてない人

概要まとめ
戦争論を知らずに理想の投資家はなれない!!

・天才解明書である戦争論
戦争論は天才的な将士の研究
将士は投資家と似ており戦争論が適用できる
 
・将士として必要なこと
当たり前を守り続けるのが一番難しい
小さな前提破りが大きなルール破りを引きおこす
 
・天才の振る舞い
固着している規則を理解した上で規則を破る
投資では無理に自身が天才にならなくてもよい
 
・判断の段階
判断は「本能・精神力・知力」の段階がある
兵士であるお金は物を言わず、勝敗は将士である投資家次第
 
・敗因は疲労
時間とともに疲労し、勝ち負けより終わらせたい気持ちが強くなる
日を跨いで続く感情的疲労をどう対処するか問われる
 
・自分を信じる
トップは常に考え続けて迷った時は最初の判断を優先する

戦争論は多方面に適用できることを知り活用する

クラウゼヴィッツの「戦争論」

クラウゼヴィッツについて

カール・フォン・クラウゼヴィッツ(Carl Philipp Gottlieb von Clausewitz 1780年7月1日 – 1831年11月16日)はプロイセンの陸軍軍人である。近代の軍事学の礎を築いた軍事学者であり、『戦争論』、『戦争術の大原則』などの著者として世界的に知られている。

1780年6月1日、プロイセンのブルクで官吏の家に生まれる。生活は厳しく、父親は軍人だった頃の人脈を通じて息子を次々と陸軍に入隊させていた。その方針もあって、1792年に12歳の少年兵として陸軍に入隊することになった。1793年から1794年にかけてフランス革命戦争に従軍し、1795年の時に15歳で少尉に任官した。連隊の勤務をこなす傍らで勉学に励み、1801年にベルリンの士官養成学校に入校することが許され、そこで本格的に軍事学の研究に取り組むようになる。この学校で出会ったゲルハルト・フォン・シャルンホルスト(1755-1813)に師事し、自らの思想を発展するきっかけをつかんだ。

ベルリンでクラウゼヴィッツは多くの人々と知り合うことができた。シャルンホルストの紹介で宮廷に出入りするようになり、そこで将来の妻となるマリー・フォン・ブリュールと出会う。1803年に23歳で士官養成学校を主席で卒業すると、アウグスト親王が率いる近衛大隊の副官に配属されることが決まり、ベルリンに留まることができた。間もなく、プロイセンはフランスとの戦争になり、クラウゼヴィッツの部隊も1806年にフランス軍とのイエナの戦いに参加した。戦闘でプロイセン軍は敗北し、クラウゼヴィッツもアウグスト親王と共にフランス軍の捕虜になったが、間もなく講和が成立したため、プロイセンに帰国することが許された。

帰国後、クラウゼヴィッツは敗戦国になったプロイセンの軍隊を再建し、将来のフランスとの戦争に備えるために、軍事学の研究を進めた。1810年にベルリンで新たに設置された陸軍大学校の教官に任命され、シャルンホルストが陸軍省で指導した改革にも積極的に参加した。同時期に皇太子の軍事学講師も務めるなど、クラウゼヴィッツは陸軍の中央で影響力を増していった。1812年にフランスがロシア遠征でプロイセンに兵を出すように要求した際に、クラウゼヴィッツは仲間と共に反対の立場をとった。結局、国王がフランスに従う政策をとったため、クラウゼヴィッツはフランス軍に味方して戦うことを拒み、仲間と共にロシア軍へ身を投じた。この際にベルリンでの授業は中断されたが、クラウゼヴィッツは去り際に自分の授業を総括した論文『戦争術の大原則』を皇太子に送っている。

ナポレオンがロシアに進攻を始めると、クラウゼヴィッツはロシア軍の参謀として勤務することになった。戦局は思わしくなかったが、モスクワを占領したフランス軍が退却を始めると、ロシア軍は反攻に転じた。この際に、後衛でフランス軍の退却を掩護していたプロイセン軍の派遣部隊の指揮官に接触し、彼らをロシア軍に味方させることに成功した。これはプロイセンがフランスを裏切る契機となった。その後もフランスとの戦争は続き、クラウゼヴィッツは1814年にプロイセン軍に復帰することが許された。1815年にナポレオン戦争が終結すると、クラウゼヴィッツは再び平穏な暮らしを取り戻していった。1818年に就任した陸軍大学校の校長は管理事務の他に仕事があまりなかったため、仕事の合間を見つけて『戦争論』の執筆に取り組むようになった。しかし、この研究は完成する前に第二砲兵総監としてブレスラウに転勤することになった。

1830年に起きたポーランド革命では第四東方軍団が新たに編成されることになり、クラウゼヴィッツはその参謀長に任じられた。しかし、翌1831年にコレラに感染したことで体調を崩し、ブレスラウにおいて51歳で死去した。遺稿は妻のマリーの手に残され、彼女はこれを刊行するために尽力した。その努力の成果として、1832年からクラウゼヴィッツの遺稿集が数巻に分けて出版されることになり、これによってクラウゼヴィッツの研究業績が広く知られることになった。

天才解明の書である戦争論

孫子と並ぶ戦略本

戦争論はクラウゼヴィッツによって著作され、西洋の代表的な戦略本として現代にも語り継がれています。
戦略本と言えば、東は孫子・西は戦争論と言われるほどです。

アメリカの軍事思想やビジネスの思想としてもクラウゼヴィッツの戦略は参考にされており、第二次世界大戦の日本とアメリカとの戦いでその違いが大きく出ました。

そして、戦争論は孫子同様今でも議論が続いており、完全に理解するのは非常に難しいです。

 

特に「戦争論」の内容はとんでもなく長く、なにより完結していません!!

この記事では「投資に役立てれば」のスタンスとになっているので一部ズレが見受けられるかも知れませんがそこはご了承ください

みのり
みのり
できる投資家は戦争論を読んでいることを隠すようです

勝てる人が増えたら自分が負ける確率も増えますからね
先生
先生

皇帝ナポレオンの解明に挑戦!

戦争論は一説に「天才解明の書」とも呼ばれています。
私たちも頭がいい人の頭脳はどうなっているのだろうと気になることはよくありますよね。

ではクラウゼヴィッツが解明しようとした天才とはだれなのでしょうか?

それは著者でもある軍士クラウゼヴィッツを打ち負かした皇帝ナポレオン」です。

当時にナポレオンは今までの戦いの常識をことごとく破壊し、一気に勢力を広げたまさに戦いにおける天才です。

著者であり軍氏であったクラウゼヴィッツはナポレオンと戦い敗戦し、投獄されました。
しかし投獄されてからも悔しさを胸に秘めて復讐の火を燃やし、研究を続けた野心家なのですね。

ここで注目してほしいのです戦争論は「一度負けてもその後の再戦も考える」としていたことです。

孫子の時代だと負けたら兵力が一気に落ちて立て直す間もなく、周辺国から一気に攻め込まれるという状況だったので「一度負けたら国が滅亡」と、戦争論と前提がかなり違いました。

クラウゼヴィッツはナポレオンという天才を解明するために研究を続け、その過程で戦争を指揮する「将士」に必要な心構えをまとめていきました。

投資家とは将士である

将士とは言わば戦場での戦い方を考える人です。
ただ戦い方を考えると言っても味方の配置を考え、時に将士自身が戦う・・・だけではありません。

将士とは日々勉学に励み、情報を集め分析して、常に考える冷静さと時に決断する大胆さを併せ持つ。
そして変わりゆく戦況を見て今後の展開を考え抜く知識を持って見据え、時に攻めて時には撤退を指揮する。

そして投資家は限られたお金をいつどこにそしてどのくらい投入するのかを考えないといけません。

その面で将士と投資家は非常に似ており、クラウゼヴィッツの戦争論の考えは投資家にも適用することができます

みのり
みのり
投資家の理想って具体的には思いつきにくかったですね
投資への落とし込み

1 戦争論はナポレオンという天才を解明するための書
2 将士は投資家と似ており戦争論の知識を適当できる 
3 将士は勉学・情報収集・冷静さ・大胆さが必要


将士として必要なこと

規則をしっかり守った上で、規則を無視する

日々勉学に励み、情報を集め分析して、常に考える冷静さと時に決断する大胆さを併せ持つ・・・
そして攻める時と撤退する時をしっかり判断する。

それが将士ですがこれらを実現するための根源は何でしょうか?

完結に言うのであれば、
規則など当たり前のことをしっかり守った上で、規則を無視する」です。

規則を守ると規則を破るという矛盾している内容を含んでいます。
前後に分けて説明させていただきます。

「規則など当たり前のことをしっかり守る」ですが、なにを当たり前のことをという声が聞こえてきそうです。

しかし、この当たり前のことをしっかり守り続けるのが一番大変なことは皆さん身に染みているのではないでしょうか

当たり前を守り続ける難しさ

今まで自分に禁止事項を課して、何一つ破らなかった人はまずいないと思います。

もう絶対にお菓子は食べない!!とか、明日からは休みの日でも早起きする!!とか、心あたりありませんか?

みのり
みのり
私は何回もあります!!

いろいろ比較や勉強をして挑んだ方が良い結果を出せるのは当たり前なのにできない。
戦争論ではそのできないことを「摩擦」と呼び、日常の細々とした障害の組み合わせで構成されていると、まとめております

本人にとっては小さなこと障害でも、数が増えて大きくなり、そして守ることが当たり前だったルールなどをいとも簡単に破る団塊となってしまいます。

評価額を見ないという前提

「摩擦」という表現について投資を例として例を挙げましょう。

あなたはある株を購入して、長く持つためのルールとして「含み損になっても売らない」を決めました

さらに、そのルールを破らない予防線として「評価額を見ない」という前提もつくりました。

始めてしばらくは「評価額を見ない」というルールを難なく守り、ストレスもなく株を売るという大きなルールを破る考えすら起きません
実に順風満帆で「評価額を見ない」という前提も何も問題なく守っています。

しかしここで予想外のことが起こります・・・

大暴落・・・・ではなく!!株価がすごく上がったとのニュースが入りました!!
世間もネットも大賑わい!!あちらこちらで株価が上がったとの声が出ます。

そしてあなたは気になってしまいます

持っている株がどのくらい値上がりしたのかを・・
そしてどのくらい含み益ができたのかを・・・

ここで一度注目してほしいのが予想外の出来事が「良いニュース」であることです

悪いことであれば人間すぐに警戒するのですが、一見悪いところがないと無警戒で影響を受けてしまうことが多いです。

逆に株価が落ちていたならルールを守ることをより強く心に決めるかもしれません。

では、例えの続きと参りましょう

株価が上がった一日ぐらいなら評価額を見ないというルールを守るのは簡単でしょう

しかし、その株価が上がったというニュースが何日も何日も繰り返し出たらどうしょうか
あちらこちらから「含み益がこんなに増えました!」など大騒ぎの声を聞き続けたら?

きっと、「ちょっとだけなら見てもいいかな・・・」と考えてしまうかもしれません

そしてさらに考え、「株を売るルールを破ってしまうのは含み損になった時だけ」や「一度くらいなら大丈夫」と破っても大丈夫な理由を探し始めます。

 

その後、気づけば評価額を確認する習慣が染みつき、「評価額を見ない」という前提を当たり前のように破るようになりました。

その前提の先にある大きなルールである「含み損になっても売らない」はどうなるか・・・
想像するまでもないでしょう

ふらふらしない投資家

役割をまとめておくと「評価額を見ない」という前提を破ることを「障害」多種の障害が重なって「摩擦」になりルールを守るという当たり前のことを破ってしまうということです。

一度思い始めたことをやるときは小さな障害の集まりが「摩擦」となることをしっかりわかって、当たり前を崩すものをしっかり見ておかなければなりません。

さらに今回の例では前提がはっきりとわかりましたが実際には前提が何か、そして複数あるかわからないことも重なってより冷静に対応するのが難しいことも覚えておきましょう。

 

投資家の兵士はお金です。そのお金をどこに・いつ・どのくらい回し・いつ撤退するか。

それを指示する人がふらふらと前提をこれぐらい大丈夫と簡単に破り、最終的に規則を破り続けていては、中途半端な動きになってしまい、いざというときに正しい判断は下しにくくなるでしょう!!!

みのり
みのり
考えをすぐ変え続ける人のところに優秀な人は居続けないですね
投資への落とし込み

1 優れた将士は「規則など当たり前のことをしっかり守った上で、規則を無視する」
2 前提を破る言う小さな「障害」が重なることで規則を破る「摩擦」が発生する
3 障害は悪いニュースからではなく、無防備な良いニュースからも発生する


1 2 3 4