世界倒産辞典

単純に利益を出そうとした末路 コンチネンタル航空

単純思考でコスト削減を行って自滅倒産したコンチネンタル航空から投資法への落とし込み!

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ポイントはココ!
1 「これさえやれば」は傲慢を産む
2 方程式は持っても疑いは捨てない
3 投資の単純化に成功したと思った時に墜落しがち

食い物にされたコンチネンタル航空

地獄は買収から

コンチネンタル航空は、1950年代に大きく成長した航空会社です。

一番の特徴とされていたのが徹底した品質管理による顧客サービスで、社員に徹底的に刷り込み、それを「成功の方程式」として創業から安定した成長を支えていました。

しかし、ある時競合他社が安いチケットを提供し始め、さらに政策により航空自由化にて競争が激化します。
そして業績が悪化し、コンチネンタル航空は買収の脅威に晒されます。

なんとか買収を回避しようと様々な対策を行いましたが、抵抗空しいままコンチネンタル航空赤字を産み出し、巨大航空会社から買収されてしまいました。

みのり
みのり
本題はこの後に出てくる買収元の経営者の行いですので説明はこれくらいで・・

単純コストカット者「R」

買収されたコンチネンタル航空会社・・その経営に買収元の社員である「R」が担うことになりました。

Rとは誰か

フランク・ロレンツォ

コロンビア大学を1961年に卒業。その後ハーバード大学大学院経営学研究科に進み、1963年に経営学修士(MBA)の学位を取得し卒業した。卒業後は1963年から1965年まではトランス・ワールド航空(TWA)の財務アナリスト、さらに1965年からはイースタン航空の財務部門に勤務した。

1966年にはハーバード大学在籍当時の友人だったロバート・J・カーニーと共同で「ロレンツォ・カーニー・カンパニー」を設立した。この会社は航空会社の運営アドバイザリーが主な業務で、斬新な発想によるマネジメントを提供した。1969年には航空機リース会社として、「ジェット・キャピタル・コーポレーション」を設立した。

規制緩和の荒波へ航空会社の再建

1972年8月10日、経営の悪化していたテキサス・インターナショナル航空をジェット・キャピタル・コーポレーションが買収、ロレンツォが経営再建にあたることになった。従業員の賃金を切り詰め、コストを削減するという手法は、基本的にはその後彼が関わった航空会社の再建と基本的な方針は変わらないものであった。採算性の低い路線からは撤退し、運航コストが高くつく経年機の売却などを行った結果、1976年には320万ドルの利益を計上することになった。

1977年には閑散期の特定の路線に対して「ピーナッツ・フェア」と呼ばれる大幅な割引運賃を試行した。これは、長距離バスの運賃とほぼ同額と言うものであったというが、この試みは成功し、1977年の利益は倍増し、1978年には初めて株主に配当を出すことができた。

1978年8月に航空自由化政策が行なわれると、ロレンツォは経営の悪化していたナショナル航空の買収に着手した。ナショナル航空はフロリダをベースに多数のアメリカ国内路線を運航するだけでなく、ロンドンへの国際線も運航していた。ナショナル航空については、競り合った末にパンアメリカン航空(パンナム)に買収され、ロレンツォの買収は失敗したかに見えたが、ロレンツォは株式の売却によって4600万ドルの利益を得ることになった。翌年には、やはり業績の悪化していたTWAの買収に着手し、社長とも話し合ったが、物別れに終わった。

1980年に入ると、6月に持ち株会社として「テキサス・エア・コーポレーション」を設立した。9月には新規航空会社としてニューヨーク・エアを設立し、ニューヨークとワシントンD.C.を結ぶシャトル便に参入した。当時、この区間にはイースタン航空がシャトル便を運航しており、これに対抗するべく運航を開始したものであった。

手荒な再建策

1981年、ロレンツォは業績の悪化していたコンチネンタル航空の買収に着手した。当初、コンチネンタル航空では労使ともにロレンツォの買収について警戒していたが、その抵抗は内外から崩され、同年11月に同社は買収された。翌1982年にテキサス・インターナショナル航空と合併、さらに1983年には連邦倒産法第11章(チャプター11)を適用することで一旦コンチネンタル航空を破産させて従業員を全員解雇し、大幅な賃金カットによる雇用条件を受け入れた従業員だけを再雇用した。破産による運航停止から運航再開までわずか3日という、手荒な方法であったが、その後の航空会社再建の戦略の1つとして注目されることになる。

しかし、この強引な方法は、社員の反発を買った。ロレンツォに買収された後のコンチネンタル航空社員の間では、「拳銃に2発の弾があり、目の前にサダム・フセインカダフィ大佐とロレンツォの3人がいたら、誰を生かすか?」「決まってる。2発ともロレンツォに撃ち込む」というジョークが交わされていたという。

1985年には再びTWAの買収に着手するが、コンチネンタル航空の事例を重く見た労働組合の激しい抵抗のため、TWAの買収は失敗に終わった。また、同時期にはフロンティア航空の買収にも着手するが、フロンティア航空側ではロレンツォに買収されることに対してだけは抵抗し、同社はピープル・エキスプレスへ買収されることになった。

1986年2月には、低運賃航空会社として再建するべくイースタン航空を買収。この買収は、イースタン航空の経営陣による決定で、コンチネンタル航空の再生の手腕に期待したという。この時期に、ニューヨーク・エアの運航していたシャトル便はパンナムに売却された。同年6月には経営の悪化したピープル・エキスプレスを買収したが、傘下にあったフロンティア航空も同時に買収されたため、結局フロンティア航空の買収に対する抵抗は意味がなくなってしまったことになる。1987年2月1日にはピープル・エキスプレスとニューヨーク・エアをコンチネンタル航空に合併させた。

しかし、イースタン航空の再建は社長(労使協調路線を取っていた人物であった)や労働組合との対立となり、なかなか進まなかった。労働組合との対立が激化すると、ロレンツォは身の危険を感じ、自社機に乗った際に、運ばれてきた清涼飲料水の栓が開いていた場合は、絶対に口にしなかったという。1989年3月9日にはイースタン航空はチャプター11適用となった。ロレンツォはイースタン航空の路線・機材・施設などを売却したが、1989年の赤字額は8億ドルにも及び、ロレンツォでも手の施しようがなくなっている状態であった。

1990年8月、ロレンツォは「テキサス・エア・コーポレーション」から「コンチネンタル・エアライン・ホールディング」となった持ち株会社の売却を発表、航空業界の第一線からは身を引くことになった。

Rは買収した企業に徹底的な賃金削減やリストラによって大きな収益を上げていました。

利益を上げる為のコストカットは大事ですが、Rが行うコストカットは非常に強引であり、低迷した航空会社に対して買収→強引なコストカット→利益を繰り返す行うため非常に評判が悪かったです。

そんなRに買収されたコンチネンタル航空も強引なコストカットの餌食となりました。

手始めにコンチネンタル航空を倒産させて社員1万2000人を一時解雇させました
そして、解雇した社員に「同じ仕事をしたければ、半分の給料で倍働け」とほとんど脅迫の交渉を行い、利益を作り出しました。

悔しくもその年のコンチネンタル航空の利益は最高額を計上したのですが、社員数は1/3の4000人までとなりました。

この人件費というコストを削れば利益はすぐに作れるという手法はRにとって「これさえやれば結果は出る」という単純しきった常套手段でした・・・

みのり
みのり
労働組合は反発しなかったのですか?

労働組合を弱体化して賃金操作にて徹底的に潰すのも
Rの常套手段です
先生
先生

経営陣と従業員の埋めがたい不信

Rはさらにコンチネンタル航空として他の航空会社を買収して同じく安い人件費で働く社員を刈り取ってきます。

Rの頭には「コストカットによる完璧な経営」と「実績あるコンチネンタル航空会社の徹底した品質管理」という単純化した儲けの方程式に囚われていました。
それを証明するように見た目上はコンチネンタル航空はアメリカで3番目に大きい航空会社となっていました。

ただ、現場無視の人件費削減を行う中、徹底した品質管理による顧客サービスも継続させようとして起きたのが、最悪と表現してもよい従業員のモラルの悪化です。

客へのサービスにはもちろん、Rがコンチネンタル航空を使う際も、厳重にロックされた個室で従業員を近づけさせず、出された飲み物も手に付けないレベルです。
飲まない理由も普通のサービスどころか、あまりの嫌われ振りに毒が仕込まれたりしているのではないかと疑う程、Rと従業員との信頼関係が崩壊していました。

このような状態で航空業なんてうまくいくはず無く、すぐにコンチネンタル航空は2億5800万ドルの損失、翌年には3億1600万の損失を抱え、Rはわずか数百万ドルの退職報酬を手にコンチネンタル航空から去っていきました。

Rが去ってももうすでにコンチネンタル航空は虫の息、そして1990年12月に倒産してしまいました。

みのり
みのり
なんだかかわいそうですね

その後、新たに就任したゴードン・ベースン氏によって、2年という間に見事黒字回復しましたよ
先生
先生

投資法への落とし込み

側面のみを見てしまわない

今回のRの問題点は経営を単純化しすぎて「カネ」の側面しか見てなかったことです。

いかにコストを削減するかにのみ向き合い、短期的に利益を創出することで株価価値を高めて買収を行い続ける。
という方程式をRは信仰してました。

その結果一時は「カネ」の面である純利益は高く見せられましたが、その裏にある従業員の意識低下による影響がすぐに見られるようになりました。

経営とはシンプルにはいかず、様々な要素の組み合わせです。
それがRの後任である新しいCEO、ゴードン・ベースン氏によって、経営方針を変えた事でコンチネンタル航空がすぐさま長期的な黒字経営に戻ったことが根拠として付いてきてます。

わかりやすい表面しか見ずに投資をする

投資を行う際にしてもこの「側面しか見ない」がよく起こります。

コンチネンタル航空もRによって一時的に純利益が増えると、投資家の皆さんは喜ぶと思います。
なにせ配当が増える可能性や株価が上がって含み益が増える期待が出ますからね。

しかし、その配当は営業で稼いだ物ではなく従業員の苦しみから無理矢理捻出した物とはまず思わないでしょう。
噂はあるかもしれませんが、やはり目の前の「配当」といったお金の面で一番よく見てしまうのですぐ気にしなくなるのも仕方ないのかもしれません

財務が詳しい人はすぐにわかるので、株価が上がっても怪しむ人は多く出ます
先生
先生

そして純利益が従業員からの搾取だったと気づけるのは、
短期的な経営だとニュース等で取り上げられ株価が下がり、詳細が多くの人に伝わった時
もしくは実際にコンチネンタル航空に客として利用した際に受ける悪質なサービスを目の当たりにした時です。

株価のチャートや純利益、目に見てわかりやすくするのは大切です。

しかし、普通人間は頭を働かせたくない生き物・・
その先の側面の裏。つまりなぜそうなったのか、確認できるところまで見るどころか、そもそも確認すら怠ることを覚えておきましょう

みのり
みのり
日本では、従業員の態度から悪質な経営を行っているかはわかりにくいですね

これさえやればよしという投資法

「これさえやれば結果が出る」
言わば、良い物を作れば自然と顧客はできる!あの土地を獲得できれば戦での勝利は間違いなし!などいつの間にか私たちは達成する事とやることが一緒にしている事があります。

この考えはほぼ必ず過去の経験から発生します。
昔、このやり方で勝ったから今回もこの戦法さえ実行できたらエスカレーター式に勝利を手に入れられるといった具合です

この全能感は集団である時と「単純化できた!」となった時に加速しがちです。
方程式など単純化したものは便利ですがリスクに直面した際、本当にこの方程式で乗り切れるかの判断が個人では難しくなります。

投資でももちろんこの現象は起き、いくら単純化しようが未曾有のトラブルが発生する可能性は変えられません。

むしろ単純化したせいでマニュアル人間となり、緊急時に柔軟な考えができず誰かの判断に乗っかかることしかできなくなるというリスクを増やしてしまいます。

みのり
みのり
だから抽象的な考えも必要なのです

複雑にな面を見ることは頭を使い、集団から離れることは不安を感じますが投資は自己責任と片づけられるものごとな為、「これさえやれば」の傲慢は捨てて単純化されたものを知ってそこで思考を停止させる堕落を避けるようにしましょう!!

まとめ

世界倒産図鑑 コンチネンタル航空
1 「これさえやれば」は傲慢を産む
2 方程式は持っても疑いは捨てない
3 投資の単純化に成功したと思った時に墜落しがち

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